昨日、タシケントに戻り、
『ナヴォイ・オペラ・バレイ劇場』を見に行きました。
この劇場のことは、
ウズベキスタン人なら誰でも知っていることだそうです。
以下Wikipediaより抜粋
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第二次世界大戦で、ソ連の捕虜になった日本人に強制労働として、
劇場の建設が課せられた。
長時間の労働に加え、食事には腐ったものが出てくるなど劣悪な環境であった。
実際に作業に関わった500人のうち、79人もの日本人が亡くなっている。
しかし、強制労働にもかかわらず
『日本に必ず帰って、もう一度桜を見よう』の合言葉のもと、
妥協のない姿勢で建設に携わり、
3年かかるであろうこの建設を僅か2年で完成。
細部の彫刻にまでこだわるなど完璧な出来であった。
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(タシケント周辺を襲った1966年の直下型大地震の時に、
ほぼ、タシケントが壊滅状態だったのにも関わらず、
この劇場はピクリともせず、ヒビひとつ入らなかったとか。)
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1996年、ウズベキスタン大統領イスラム・カリモフが、
建設に関わった日本人を称えるプレートを劇場に設置した。
その際の指示は「彼らは恩人だ、間違っても捕虜と書くな」というものであった。
プレートには、
「1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民が、このアリシェル・ナヴォイー名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した。」
と日本語でも書かれているそうです。
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昨年、1997年の完成後、初めて劇場の修復作業に入り、(それもスゴい)
プレートは外してあり確認できませんでした。
Youtubeに、ナヴォイ劇場のことをアップされていたので、
シェアしますね。
https://www.youtube.com/watch?v=PfcPauuAO7Q
そして、シベリア抑留の過酷な環境により、
現地で亡くなられた旧日本人兵士達のお墓参りにも行って来ました。
日本人墓地は、
ウズベキスタン・タシケントだけではなく、
サマルカントや、ブハラなどにもあるそうです。
薔薇で囲われた慰霊碑に、桜の木が植えてあり、
ウズベキスタンの方がお掃除をしてくれていました。
日本人の英霊たちに深く感謝し、
手を合わせました。
どっちが正しかった、
間違っていたではなく、
どっち勝った、
敗けたではなく、
私たちは、この事実を忘れてはいけない。
そう思います。